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- 2016.09.02 Friday
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PlayStation | |
ソニー・コンピュータエンタテインメント | |
日本:1994年12月3日 北米:1995年9月1日 欧州:1995年9月29日 オーストラリア:1995年11月15日 韓国:1996年 |
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CD-ROM XA、CD-DA | |
メモリーカード | |
日本:2159万台(PS one含む) 世界:1億249万台 |
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PS one | |
PlayStation 2 |
系譜 | |
任天堂のゲーム機『スーパーファミコン』の発売にあたり、ソニーは任天堂と協業してCD-ROMドライブ拡張機器「スーパーファミコン CD-ROMアダプタ」の開発を開始する。 | |
任天堂の山内溥(当時社長)、ソニーの大賀典雄(当事最高経営責任者)との間で両社の締結を確認する合意文書が締結。開発コードネームは「プレイステーション」。 | |
ソニーがプレイステーションの試作機を正式発表。しかしその翌日、任天堂が突如としてフィリップスとの提携を発表し、ソニーに冷や水を浴びせる形となった。任天堂に掌を返されたソニーは抗議したものの、任天堂は「権利を巡っての意見の相違」などの理由を挙げ交渉は難航し、その後両者は決裂した。 | |
任天堂との破談により開発中断を余儀なくしていたソニーの互換機であったが、この日開かれたソニーの経営会議で、ゲーム事業への進出の是非が議論になり、会長の大賀典雄を除く全役員が反対意見を投じる中、経緯説明のために会議に参加した久夛良木健(後のSCE社長)が進出を強く主張し、試作品はほぼ出来上がっている事を公表。最終的に大賀が開発のゴーサインを出し、ソニーのゲーム事業への進出が決定した。 | |
紆余曲折を経て発売中止に追い込まれたプレイステーション(互換機)であったが、大賀の決断により新たにソニーオリジナルでゲーム機を開発、発売することとなり、プロジェクト「PS-X」が始動。 | |
株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント(以下SCE)が設立。 | |
日本市場において「PlayStation」発売。定価39,800円。初回出荷10万台はまもなく完売。 発売当初のキャッチフレーズには「全てのゲームは、ここに集まる」を標榜し、ローンチタイトルである『リッジレーサー』のナムコをはじめ、SCEは大々的なサードパーティー獲得戦略を実施した。 |
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日本国内の生産出荷台数が100万台達成。 | |
スクウェアがプレイステーション参入。同社は同年8月2日、『ファイナルファンタジーVII』の体験版を付属したプレイステーション向け3D対戦型格闘ゲーム『トバルNo.1』を発売している。 | |
世界で生産出荷台数が1000万台突破。 | |
エニックスが『ドラゴンクエストVII』の対応機種をプレイステーションとすることを発表。 | |
スクウェアから『ファイナルファンタジーVII』発売。 | |
日本国内1000万台達成。 | |
PlayStationの次世代機となる家庭用ゲーム機「PlayStation 2」発売。定価39,800円。 | |
PlayStationの最終型番(SCPH-9000)をベースに、電源を外付けのACアダプタとすることなどにより、体積比で従来機の約1/3に小型化した「PS one」発売。定価15,000円。 | |
エニックスから『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』発売。発売を目前に控えた土壇場での延期を含む、何度かの発売日見直しを経て、ようやく発売された。本作の発売は、既に次世代機となるPS2が発売された後となったのだが、日本での出荷本数は、2001年1月5日に400万本超を達成。これは国内でのプレイステーション用ソフトの中では第1位の記録である。ちなみに『ドラゴンクエストVII』、『ファイナルファンタジーVII』ともに、当初はNINTENDO64(以下N64)向けに開発されていたのだが、様々な理由により最終的にプレイステーションでの発売に到っている。 | |
全世界累計でPS oneも含めた生産出荷台数が1億台を突破。 |